最近は通勤ではもっぱら本を読むことにしています。
通勤ではずうっと音楽ばかり聴いていたのですが、音楽ではなんとなく視覚が手持無沙汰になってきたのでよね。前ほど、音楽に集中できなくなってきたというか。
かといって、音楽を聴きながら、本を読むなどというのは、個人的に言語道断なので、より集中できる本を選ぶことにしたわけです。(体調の悪いときには向かないのがたまにキズですが・・・)
おかげさまでだいぶ積ん読していた本がはかどりました
。
せっかく読んだ本ですから、忘れないように覚え書。
夏目漱石「こころ」
通勤ではなく、休み中に読んだ本。高校の時、読書感想文を書かされて以来、敬遠していたのですがやっと再読。当時はちっとも印象に残らなかった語り手である「私」の父の危篤の場面をしみじみと読む。まあ、自分もそんな年になってきたのですね。
ここのところ、漱石を読み直しているのですが、このあたりにくると「猫」や「坊ちゃん」にくらべて格段に文体が洗練されています。現代の日本の小説は、このレベルをはたして超えられているのか。疑問です。
正岡子規「仰臥漫録」
子規の病床もの(といういいかたがあるのかどうかは知りませんが)。死の直前まで書き続けられた日記です。「病牀六尺 」や「墨汁一滴」にような、発表を念頭においた随筆ではないためより壮絶。寝床のうえに起き上がることもできず、ただただ食べることのみが日々の楽しみであった子規、その食べた物の記録がすごい。また、死期に近い頃になると、ただ麻痺剤を打った時刻だけがたんたんと記録されていて悲壮。
最近は、日本の明治、大正ころの小説や随筆がおもしろく、もっぱらそのあたりを読んでいます。やっぱり、読み継がれる作品には理由があるのだと思います。
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